サイトアフィリ2018年10月~2019年3月売上報告

ここまでの売上(確定報酬)は上記の通りだった。

全部AfB、案件タイプはサービスと物販が半々くらい。

 

売上が、全然伸びない。

原因は、サイトの質と量が足りてないからだと思う。

 

現状、サイトアフィリのコンサルに指導してもらって、サイト作成スキルは上がったと思うが、それを成果に結びつけて行けなければ意味がない。

だから、ここからだ。

 

自分の中での「勝てるサイトパターン」の確立。

それが目下、最優先課題。

 

 

 

ところで、サイト更新の期間が、かなり空いた。

 

それは、

数ヶ月間このサイトを更新してきて、

このサイトの更新と、

売上の向上に相関を見いだせなかったから。

 

おれの目標は、サイトアフィリの売上増加なので、

そこにつながらないのなら、

(個人的なモチベアップなどの間接要因も含めて)

あまり、意味を感じなくなったから、

というのが理由になる。

 

こんなことしてるくらいなら、

サイト作った方が良い、と思ってしまう部分もある。

 

それでも、久々にこのサイト更新したのは、

「他の人のアフィリエイト実践記」を

たまたま、また目にして、

励みになったから。

 

 

サイトアフィリのここまでの反省とこれからの目標

 

ここ半年間、マネージメントの実施を心掛けてきた。

 

月初に目標を立てて、

タスクに落として、

週単位、日単位での優先順位を振って、

日日管理での業務レコードを5分単位でメモするという活動だが、

 

ここまでの直近の売上を見たときに、

いかんせん伸びていないのを見て、

心が折れた。

 

目標、マイル、日日管理に意味はあると思う。

(特に、長中期的な事業に取り掛かるのなら、

作業者としての自分を管理するマネージメントとしての自分も必要だから。)

 

ただし、それが“事務的”になっては意味がない。

 

あくまでマネージメントは、

成功の蓋然性を高める手段なので、

その活動事態が、仕事となるようでは意味がない。

 

 

マンネリ感による思考停止こそが最大の敵だ。

 

だから、

今は、マネジメントを積極的に放棄して、

肌感覚を養うことにした。

(感覚だけでの限界を感じたら、またマネージメントに戻ってくるとは思うけど。)

 

 

追伸:副業アフィリエターのぼやき(自分への喝)

 

会社員の仕事と、アフィリの仕事に追われる中で、

ふとした時に沸く、「無気力感」。

 

これに囚われると、

何をしても無駄な気がしてくる。

 

もし「頑張りが報われないこと」が確定しているのなら、

今ある限られた人生リソース(時間、お金、気力)の中で、

少しでも『快』だと感じることを貪ろうか、

という欲にかられる。

 

『今』が、どうぜ無駄な時間として流れていくだけなら、

菓子食って、酒飲んで、ユーチューブでも見てた方が有意義では?

と、『錯覚』してしまう。

 

それは、良くも悪くも、

「今のこの状態が一生続いていく」

ような感覚。

 

 

目、覚ませ。

 

 

『今』を「将来に投資すること」が「無駄」と捉えて、

何もしなければ、

未来は絶対にジリ貧だ。

 

ぬるま湯に浸かっていて、

足が動かなくってきた時に、

「このままでは、自分は茹でカエルになってしまうのでは?」

と気づくようでは、

手遅れだ。

 

ここで、

茹でカエルのならないためには、「希望」が必要だ。

 

「希望」とは、

「“自分の人生は、自分の働きかけによって、より良くしていける”という自負心」

だと思う。

 

そして、その自負心は、

「予め持っている人」と「持っていない人」がいるのでなく、

それは、

「作る必要のあるもの」であり、

「作ることができるもの」だと思う。

 

その「自負心の作り方」に関して大切なのは、

「なんとなく自分はいけると思う」という、

曖昧なポジティブシンキングでは決してなくて、

「自分は◯◯になる!」という、

「目標に対する明確さと、覚悟」だ。

 

 

なぜなら、

「曖昧なポジティブ」は、

「実績」に繋がらなければ、

ただの「痛々しい虚言」だからだ。

 

もちろん、

「目標に対する明確さと覚悟」があっても、

「実績」がなければ、

人からは「痛々しい虚言」と言われることがあると思う。

でも、

自らがそれを見誤り、

潰えて風化することはないと言い切れる。

なぜなら、

「目標に対する明確さと覚悟」があるのなら、

「実績」がない状態は「必然的な通過地点」だから。

 

だから、

「目標に対する明確さと覚悟」を持っているのなら、

「実績」がなくても、

「恥じる」こともなければ、

自分に「失望」する理由もない。

 

自分は今、

ちゃんと、

必要な過渡期にある。